三十数年ぶりに広島へ来ている。
到着後まず向かったのが、平和記念公園。
路面電車で最寄駅へ到着すると、目に飛び込んでくるのが、原爆ドーム。
被爆した当時の姿を留めたまま、目の前に建っている。
その姿は、この場所に原子爆弾が落ちたことを、訪れる者へ明確に訴えている。
近い将来、被爆者が誰もいなくなった世の中が来ても、原爆ドームがある限り、人はこの場所に原子爆弾が投下されたことを決して忘れない。
原爆ドームの存在自体が、人類に対するメッセージだ。
一方、我が故郷長崎市の被爆の象徴は、平和祈念像。
かつて長崎の被爆遺構の象徴だった浦上天主堂は、とうの昔に再建されてしまった。
被爆者が誰もいなくなった世の中で、平和祈念像にどれほどの訴求力があるだろうか。
平和祈念像は平和を願う像であって、その像から原爆の被害を読み解くことはできない。
平和祈念像と原爆投下は、直接には繋がらないのだ。
そんな長崎の平和発信力に、何とも頼りなさを感じてしまう。
今日の学び
原爆ドームがある広島。浦上天主堂を残さなかった長崎。その差が広がるのは、被爆者が誰もいなくなってから。
今日の読書中
なし
今日のラン【月間目標200キロ!】
本日0km。月間累計10km。